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笠間簡易裁判所 昭和55年(ろ)1号 判決

主文

被告人を罰金一万五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間(端数は一日に換算する)被告人を労役場に留置する。

押収してある靴下二足入り包装紙付紙小箱二箱(昭和五五年押一号の一、三)を没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

被告人に対し、公職選挙法二五二条一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を三年に短縮する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年一二月一六日施行の茨城県笠間市議会議員一般選挙の選挙人であるが、同選挙の告示日である同月六日同市来栖一、二二〇番地の二の自宅において、同選挙に立候補した中村勉からその当選を得る目的のもとに同候補者のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、靴下二足入り包装紙付紙小箱二箱(時価二、〇〇〇円相当)の供与を受けたものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

公職選挙法二二一条一項四号一号、刑法一八条、公職選挙法二二四条、刑事訴訟法一八一条一項本文、公職選挙法二五二条四項一項

(被告人及び弁護人の主張に対する判断)

一  被告人は、一二月六日靴下二足入り包装紙付紙小箱(以下「紙小箱」という。)二箱を持つて来た人が中村勉であることをその時は知らなかつたと主張しているが、証人中村勉の当公判廷における供述によれば、同人は被告人方玄関内で被告人に最初「今晩は。」と声をかけ「おじいさんいますか。」と尋ねたところ、被告人から「留守です。」と言われたので、「私は市会議員の中村ですが、前回の選挙の時はお父さんにお世話になりました。今回もよろしくお願いします。」と挨拶し、笠間市議会議員中村勉と印刷した自己の名刺を一枚づつ添えて被告人に紙小箱二箱を二回に分けて手渡した事実を認めることができる外、被告人自身が供述している事実によつてもこれを認めることができる、すなわち、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する各供述調書及び検察官に対する供述調書によれば、(1)被告人と中村勉とは被告人方玄関の土間で相対の至近距離で話しをしたこと、(2)被告人は捜査段階を通じて右中村証言のうち「私は市会議員の」という文言を除き、中村から略同旨の挨拶があつたことを終始一貫して認めていること、(3)被告人は中村が差し出した紙小箱の上に笠間市議会議員中村勉と印刷した名刺が添えられていたのを認識していること、(4)その際被告人はその日は選挙の告示日だつたので立候補している人かなあとは思つたこと、(5)被告人は中村が二箱目の紙小箱を差し出した時同人が着ていた背広上衣のポケツトから前と同じ名刺を出して紙小箱の上に置いたことを認識していること、(6)その時中村以外に連れはいなかつたことの諸事実が認められるので、これらの事実を総合すれば、被告人はその時紙小箱二箱を持つて来た人が中村勉であることを認識したものと認められる。

よつて、被告人の主張は採用しない。

二  被告人及び弁護人川人博、同友光健七(以下「弁護人等」という。)は、被告人は中村勉から紙小箱二箱を受け取るに当り、同人が笠間市議会議員の選挙に当選を得る目的で同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知らなかつたと主張するが、証人中村勉の当公判廷における供述によれば、同人は笠間市議会議員に当選したいために、被告人やその家族の人に対し自分に投票して欲しいという気持から、「私は笠間市会議員の中村ですが、前回の選挙の時はお父さんにお世話になりました。今回もよろしくお願いします。」等と言つて被告人に自己の名刺を添えて紙小箱二箱を手渡した事実が認められ、一方被告人の司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は中村勉から紙小箱二箱を受け取つた時私や私の家族に笠間市議会議員の選挙の投票日には中村勉に投票し同人が当選できるように運動してもらいたいためのお礼としてくれるんだなあという趣旨のことが分つた旨、又被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は「私は、選挙の告示当日という時期や中村さんの話からこのきくちデパートの包装紙に包まれた品物は、中味がオシボリか靴下か何かであり、要するに選挙の名刺代りの品物だなとすぐに分りました。私が選挙の名刺代りの品物というのは、今度の選挙で中村さんを当選させるため投票用紙に中村さんの名前を書いてほしい、また家族や近所の者に働きかけて中村さんの票を増やしてほいしということのお礼の意味の品物のことです。」と述べ、被告人が供与の趣旨について認識していたことが認められるので、被告人及び弁護人等の主張は、いずれも採用しない。

三  被告人及び弁護人等は、紙小箱二箱は被告人が中村勉から供与を受けたものではなく、同人から被告人の義父と夫に各一箱づつ渡して欲しいという依頼を受けて、同人等のために預つた物に過ぎないと主張する。

成程、中村勉は当公判廷における証言の中で、「私が被告人方の屋敷を訪れた時、同一敷地内におじいさん夫婦の世帯と被告人若夫婦の世帯と二世帯が住んでおり、二世帯ですと常識的に考えて四票の計算になるので、品物が男物靴下ですから、各世帯に紙小箱一箱づつとして、できれば一箱はおじいさんに、もう一箱は被告人の御主人に渡してもらいたいという気持があつた。」旨、又被告人も、同人の司法警察員に対する供述調書(昭和五四年一二月七日付)の中で「中村が来た時丁度義父もいなかつたので、一応これを受け取り義父に後で聞こうと思つていた。」旨及び当公判廷で最初の一箱については、男の人が「お父さんにお世話になつた者ですけど、これを渡して下さい。と言つて品物を出したので預つた、二箱目については、私は「いいです。」と断つたのに持つてこられて嫌だなあと思つたのですが、持つてきたので預りました、主人にどうするかきめてもらおうと考えた旨それぞれ述べて、被告人及び弁護人等の主張に沿うような趣旨の供述もあるけれども、一方証人中村勉の当公判廷における供述によれば、同人は、(1)選挙告示当日急に思い立つて被告人方を訪れたこと、(2)被告人の義父とは四年前の笠間市議選の時に一回会つて挨拶をした以外に特別の関係もなかつたこと、(3)最初はお茶菓子程度と思つたが、たまたまお歳暮に弟から貰つた靴下の入つた紙小箱が二箱あつたので持つて出たものであつて、特に品物にこだわつたわけではないこと、(4)被告人に対し、紙小箱一箱は被告人の義父に、他の一箱は被告人の御主人に、それぞれ渡してもらいたいという明示の意思表示をしなかつたこと、(5)被告人と話しているうちに被告人が有権者であることが分つたので、要は自分の来た趣旨が被告人を通じておじいさんや他の家族にも伝わればよいと考えたこと、(6)被告人に紙小箱二箱を手渡した段階では、被告人においてその二箱を自由に使つてもらつてよいという気持であつたことの諸事実が認められ、被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和五四年一二月七日付)によれば、被告人は、中村勉が帰つた後風呂から出てきた義母に「今中村という名刺を持つた人がこれを持つてきた。」と話したにとどまり、結局帰宅した義父や夫には紙小箱二箱のことについて何も話さなかつたこと、被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、(1)中村勉が持つてきた紙小箱二箱は選挙の名刺代りの品物だと思い、自分で使つてしまうつもりであつたこと、(2)品物の中味はオシボリか靴下か何かで、たいした物ではないと思つたので開けてみなかつたこと、被告人の当公判廷における供述によれば、紙小箱二箱及び名刺二枚は翌朝貰い物があるといつも置くことになつている奥四畳間の仏壇の前の小机の上に置いたことの諸事実が認められ、証人本多義夫の当公判廷における供述によれば、(1)被告人夫婦と被告人の義父母は同一の屋敷内に住んでおり、二世帯といつても、被告人夫婦と子供達の寝室が離れになつているだけで、炊事、洗濯、食事及び風呂等は母屋で義父母と一緒にしていること、(2)本多義夫は、昭和五〇年の笠間市議選の時親戚の本多万次郎の顔を立てて中村勉と一回挨拶をしたことがあるだけで、それ以外に何等の関係がなく、今回中村勉から同人に投票を依頼されるような関係について思い当ることはないことの諸事実が認められ、又証人小野寺正美の当公判廷における供述によれば、被告人の義母は、同証人の紙小箱二箱に関する事情聴取に対し、「私が風呂に入つている時、覚さんの嫁さんの雪美さんが中村からよろしくということで貰つた物である。」と述べていること、本多覚も、当公判廷で池上検察官から「被告人は、その品物は選挙のためにくれた物と理解していたのですか。」と尋ねられて、「そうだろうと思います。」と証言していることの諸事実が認められるので、これ等の諸事実を総合すれば、被告人は中村勉から紙小箱一箱は被告人の義父に、他の一箱は被告人の夫に、とそれぞれ限定して手渡されたものではなく、要するに被告人の票も含めて中村勉を当選させるため同人に投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、被告人がその処分を一任されて供与を受けたものと解するのが相当である。

よつて、被告人及び弁護人等の主張は、いずれも採用しない。

四  弁護人等は、被告人の司法警察員大浦隆夫に対する供述調書二通は、大浦隆夫が被告人を取調べるに先立つて被告人の行為が公職選挙法違反として有罪であるとの強い予断と偏見を抱いたうえ作成したものであり、かつ大浦隆夫は日本共産党から買収行為の取締りを野放し状態にしている笠間警察署の政治的責任を追求されることを恐れ、これを権力的に抑圧しようとの不当な政治的意図に基づき、被告人に対し、罰せられるのは中村勉であるかの如く装い続け、被告人の取調はあくまで参考人としての事情聴取であつて、被告人が被疑者であることを告知せず、もしくは十分な説明をせず、黙秘権について被告人がその趣旨を理解し得ない程度にしか説明しないで捜査官に都合のよい供述を引き出すため極めて詐術的な取調べを行い、さらに右調書は、被告人が子供達を連れ帰る時間を気にしているなかでどさくさにまぎれて作成されたものであるし、被告人の検察官に対する供述調書についても、検察官は取調の冒頭において、被告人に対し、「罰金を払つてもらうことになるかもしれませんよ。」と告知し、被告人を極度に畏怖、困惑させたうえ、送致記録を読みながら一方的に供述文言を立会事務官に口授し作成したものであつて、これらの取調は違法不当なものであるから違法な手続により収集された右三通の供述調書は証拠から排除されるべきものであり、少くとも任意性はないものといわなければならないと主張するが、証人大浦隆夫の当公判廷における供述によれば、同人は被告人を取調べるに先立つて「品物を受け取つた件につき、公職選挙法違反になるので取調べをするが、言いたくなければ言わなくともよい。」という趣旨のことを告げたこと、被告人の当公判廷における供述によれば、同人は、大浦取調官から取調べに先立ち「被疑者として取調べます。言いたくなければ言わなくともよい。」と言われたことがそれぞれ認められ、また前記大浦証人の証言によれば同人は、被告人の供述を録取した後被告人に調書を読み聞かせ間違いないかどうかを問い被告人が間違いないというので、被告人に二通とも署名押印してもらつたことが認められるし、証人池上政幸の当公判廷における供述によれば、池上検察官は(1)取調べに先立ち被告人に対し、公職選挙法違反の罪で、被疑者として取り調べることを告げた後、黙秘権を告知したこと、(2)被告人が否認することもなく、自分の質問に対しすらすらと供述したので、その供述を捜査メモとして使つていた大学ノートにメモしたうえ、それに基づいて検察事務官に口授し、出来上つた調書を被告人に読み聞かせたところ、被告人が間違いないというので、被告人に署名押印してもらつたこと、(3)次いで略式手続の告知の時、被告人に対し、公職選挙法違反の罪で罰金を支払つてもらうようになるかもしれないということを言い、略式手続について説明したことの諸事実が認められ、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、(1)池上検察官から取調べに先立ち「被疑者として」と言われたことは記憶していること、(2)はつきりはしないが、「言いたくなければ言わなくてもよい。」ということは言われたような気もすること、(3)検察官の調べの時は、最初から自分が罪になつていて中村勉から紙小箱二箱をもらつたことについて調べられているということが分つていたこと、(4)そのことについて池上検察官が被告人を取調べその結果を調書にしているということも分つていたこと、(5)その調書は池上検察官から読み聞かされたこと、(6)その調書の内容は分つていて署名したことに間違いないことの諸事実が認められる外、被告人の当公判廷における供述時の態度を考慮に入れながらその供述内容と前記三通の供述調書の内容とを比較検討してみても、右三通の供述調書の任意性及び信用性を疑わしめる何等の証跡も認めることができないので、弁護人等の主張は採用しない。

五  被告人及び弁護人等は、被告人の夫本多覚は中村勉の買収行為を摘発し、被告人は買収行為をなくすため捜査に協力してきたのに、本多覚と同道した日本共産党の中庭次男及び海野幹男等から厳正な取締を要請されたことに対し、笠間警察署は被告人夫婦の行為を、買収行為を野放しにしている笠間警察署の政治的責任を追求する敵対行為としてとらえ、これを権力的に抑圧しようとする意図のもとに被告人を犯罪人に仕立てるため、前述のような詐術的な方法等により捜査側に都合のよい供述をとり、事件を検察庁へ送致したところ、検察官は右笠間警察署の違法、不当な意図を察知しながら、更に被告人の有罪を一層確実なものにするため前述のような被告人を畏怖、困惑させるような取調を行つたうえ、完璧な供述調書を作成し、被告人を起訴するに至つたものであるから、本件公訴の提起は無効であると主張するが、前記被告人の司法警察員に対する供述調書二通及び検察官に対する供述調書が任意性及び信用性において欠くところのないものであることは先に認定したとおりであるのに、その余の事実について検討することにする。

証人中澤忠及び同本多覚の当公判廷における各供述によれば、本多覚は昭和五四年一二月七日中村勉を選挙の事前買収の罪で告発するに当り、笠間警察署刑事課捜査第二係長中澤忠に対し紙小箱二箱と名刺二枚のうち紙小箱一箱と名刺一枚しか提出せず、かつ紙小箱二箱と名刺二枚を受け取つた者が被告人であること及び他に紙小箱一箱及び名刺一枚が存在することを、いずれも明らかにしなかつた事実が認められる。

本多覚は、紙小箱一箱及び名刺一枚しか提出しなかつたことについて、同人は当公判廷で、一二月七日の午前一〇時ころ自分と日本共産党の中庭次男及び海野幹雄の三人で話し合つた結果自分の持つてきた紙小箱二箱と名刺二枚のうちとりあえず紙小箱一箱と名刺一枚を警察へ提出し、他の一箱と名刺一枚は日本共産党の宣伝用の写真をとつた後警察へ提出することに相談がまとまつたからであると述べており、それはそれなりに一応理解できるのであるが、本多覚は中澤係長から提出した紙小箱一箱と名刺一枚の件で母親から具体的な話しを聞きに後で伺うと言われてから考えが変り、他の紙小箱一箱及び名刺一枚を日本共産党の宣伝に使うことを自己の判断でやめ、警察の人が自宅へ来た時正直に渡そうと考え直して午前一一時過ごろ自宅へ持ち帰り、紙小箱一箱を父母の前に出してその旨父母にも話した等と述べているが、証人本多義夫の当公判廷における供述によれば、(1)同人は一二月七日は午前一一時少し過ぎごろ山から帰宅した時、仏壇の前の小机の上に紙小箱一箱と名刺一枚があつたが、息子の覚とは会つてもいないし、覚のいうようなことは聞いた記憶もないこと、(2)妻から覚が紙小箱一箱は届けてきたと聞かされたこと、被告人の当公判廷における供述によれば、同人は一二月七日午前一一時四五分ころ幼稚園の参観から帰宅して見た時、紙小箱一箱と名刺一枚は仏壇の前の小机の上に同日の朝自分が置いたと同じ状態で置いてあつたこと、被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人が幼稚園から帰宅した時、義母から「きのうあんたが受け取つた品物を覚が見つけて、こんな物持つていると大変だと言つて、警察へ品物一箱と名刺一枚を持つて行つたから。」と言われたことの諸事実が認められ、また紙小箱一箱と名刺一枚を写真にとるとしてもそれ程時間を要しないし、覚が自己の判断で日本共産党の宣伝に使うことをやめ警察へ提出する気に考えを変えたと述べながら直ちに警察へ提出しようとせず、わざわざ自宅へ持ち帰つたというのは自然ではないと考えられるので、これらの事実を総合すれば、本多覚が自宅から持つて出たのは紙小箱一箱と名刺一枚だけではなかつたかと考えられるのである。いずれにしろ、本多覚としては、当初紙小箱一箱と名刺一枚しか警察へ提出する意思がなかつたことだけは間違いのない事実である。

次に、本多覚が紙小箱二箱と名刺二枚を受け取つた者が被告人であることを明らかにしなかつたことについて、本多覚は、当公判廷で、母から「夕べ風呂に入つている時男の人が持つてきた。」としか聞かされていなかつたので、自分は受け取つた者が被告人であることを知らなかつた旨述べているが、被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和五四年一二月七日付)によれば、同人は、風呂から上つてきた義母に「今中村という名刺を持つた人がこれを持つてきたから。」と話したこと、証人本多義夫の当公判廷における供述によれば、(1)同人は一二月六日の晩妻から紙小箱のことについて聞かされた時被告人が受け取つたことも聞いていること、(2)覚が一二月七日朝八時半ころ仏壇の前の小机の上に置かれた紙小箱と名刺を発見した時妻から話しを聞き、これは選挙違反だとか買収だとか大きな声で騒いで妻と何かやり合つていたこと、(3)その際本多義夫もその場にいたが妻の話しの中で被告人が受け取つたとか被告人がいるとき置いていつたとかいう話しが出たかどうか分らないと述べるにとどまり、積極的にこれを否定していないことの諸事実が認められるところ、被告人の義母が紙小箱二箱及び名刺二枚を受け取つた者が被告人であることを殊更自分の息子の覚にだけ秘匿しなければならない特段の事情の認められない本件においては、被告人の義母は紙小箱二箱と名刺二枚を受け取つた者が被告人であることを話のやりとりの中で当然息子の覚にも告げたものと推認するのが相当である。

ところで、公職選挙法二二一条一項一号の供与罪と同条一項四号の受供与罪とは、刑法の贈収賄罪と同じく講学上いわゆる必要的共犯と解されており、検察官の釈明によれば、本件の供与者である中村勉は、本件に対応する事実につき昭和五五年二月四日笠間簡易裁判所発付の略式命令により罰金二万円、公民権停止四年に短縮の裁判を受け、同裁判は同月二二日確定したことが明らかであり、又被告人については、受供与罪が成立することに既に認定したとおりであるから、本多覚が中村勉の買収行為を告発するからには、当然それに対応する被告人の行為についてもこれを明らかにしなければならない筋合となるところ、証人本多覚の当公判廷における供述によれば、同人並びに日本共産党の中庭次男及び海野幹雄の三名は、笠間警察署川又次長に対し、中村勉の買収行為についてのみ厳正な取締を求める要請を行つたことが認められるが、その際本多覚は同警察署刑事課第二捜査係長中澤忠に対し紙小箱一箱及び名刺一枚しか提出せず、かつ紙小箱二箱及び名刺二枚を受け取つた者が被告人であることを知つていたと推認されるにもかかわらず、他の紙小箱一箱及び名刺一枚の存在と共にこれを明らかにしなかつた事実に照らすと、本多覚の行為は著しく片手落の感を免れないし又供与罪と受供与罪は必要的共犯であるから、その証拠は共通となるので、中村勉の供与事件についての同人の取調は、同事件の証拠収集のための捜査活動であるとともに被告人の受供与事件についての証拠収集のための捜査活動であり、逆に被告人の受供与事件についての同人の取調は、同事件の証拠収集のための捜査活動であるとともに中村勉の供与事件についての証拠収集のための捜査活動でもあるという関係に立つので、被告人が自らの事件を度外視して一方的に中村勉の供与事件の証拠収集のための捜査活動に専心協力したと考えるのは、もとよりいわれのないことであるから、被告人及び弁護人等の主張はいずれも採用しない。

よつて、主文のとおり判決する。

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